第25回 ゆとり世代

Last updated: 2010年 5月 22日 土曜日 - Save & Share - Leave a Comment

来年、国の学習指導要領が変わることにより、全国の学校で授業時間が増えることになりそうだ。
その方向性に至ったのは、世界的にみても学生の学力が劣ってきていて、このままでは国家の衰退にもかかわるといったことからのよう。

約10年前、ゆとり教育が始まる前から、私は、地域や私立中学で野球を教えてきてきた。
ゆとり教育が始まってからは、それまでよりも時間がたくさんでき、皆と多くの会話もできたし、多くの時間を一緒に過ごすことができた。

もしかしたら、学生の相対的に学力は劣ってきたかもしれない。
でも勉強以外の「自動車のハンドルの”遊び”」的な側面は、我々の40歳代より、少なくとも持っているような気がするのである。
しかも、この「ゆとり世代」は、大学に入ってきちんと勉強する人たちが多くなったと思う。
知識としての勉強より、自分の軸を作るための勉強をしているような気もするのである。

私たちは、当時、大学に入ればよくて、あとは正直遊んでもよかった。
なぜなら、社会は成長しており、その中にのっかっていけば、自動的にいろいろなことを経験でき、教えられ成長できたから。

我々は、若いころから環境に関心を持ち、社会にどう貢献できるかなど、真剣に考えたことがあっただろうか?
この「ゆとり世代」は、これらを当たり前のように真剣に考えている人たちが多い。
つまり、我々が当時もっていなかった感覚と行動力を間違いなく持っている。

「ゆとり世代」のほとんどが、これからの大学生。
この時代で育てられた感性と感覚を、彼らは、必ずこれからの日本の為、世界の為に役立ててくれるだろう。

学習指導要領の改訂・・。
反対はしないが、この「ゆとり世代」の化学反応を、もう少しみていたかったような気もする。

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